時のしるし4 【さまざまな前兆と大患難時代】

 

 聖書には、いわゆる「終末」と呼ばれる時代の預言があります。それはバベルの塔から始まる現代文明の終焉の時代です。それは別名「大患難時代」とも呼ばれます。聖書はその時代の到来前に起こる様々な前兆、終末の前触れである「時のしるし」について書かれています。そのしるしが、最近顕著に現れ始めています。

 

終末時代の前兆「時のしるし」

 

 イエス・キリストは、十字架にかかる前に、弟子たちに終末時代の前兆について、次のように預言しています。

 

 イエスがオリーブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとに来て言った。「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのでしょう。あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。」

 そこで、イエスは彼らに答えて言われた。

 「人に惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名のる者が大ぜい現われ、『私こそキリストだ。』と言って、多くの人を惑わすでしょう。また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。

 民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききん地震が起こります。しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。

(マタイの福音書2438節)

 

偽キリストの出現

 

 このキリストの預言通り、今まで数多くの「偽キリスト」が現れてきました。偽ブッダや偽マホメットはいませんが、偽キリストは世界中に沢山登場してきました。それも「時のしるし」のひとつです。ネット上にも、我こそはキリストだと名乗る者たちが沢山います。

 しかし、そのキリストが本物かどうかは、聖書のキリスト預言を成就できるかどうかで、簡単に確認できるのです。しかし、多くの人々は、よく吟味もせず、簡単に偽キリストの嘘や偽の奇跡を信じてしまいます。聖書を知らないからそうなるのです。

 もし「我こそはキリストだ」と言う人があなたの前に現れたなら、その人にこう言うべきです。「あなたがもしも本物のキリストなら、旧約聖書のゼカリヤ書14章のメシア預言を成就して下さい」と。できない人は再臨のキリストではなく偽キリストです。聖書をよく知っていれば、偽キリストは簡単に見破ることができます。

 

戦争と戦争の脅し

 

 第二次世界大戦後は長らく、あからさまに戦争の脅しをするような国は、ほとんどありませんでした。大戦の深い傷跡の記憶がいまだ鮮明で、世界の指導者たちも何とか戦争を回避しようと互いに骨を折っていましたが、近年、戦争や戦争のうわさ(脅し)が、以前にも増してメディアから流れて来るようになりました。中東の混乱や、北朝鮮のような戦争の脅しを実際に行う国が出始めたことも「時のしるし」のひとつです。各国のリーダーたちが、以前と違って自己中心的になっている様子が見て取れます。

 

 かつて、世界にナショナリズムが台頭し、民族は民族に、国は国に対して敵対し、第一次世界大戦、第二次世界大戦が起こりました。恐ろしい殺戮と破壊が起こりました。第一次世界大戦では900万人以上が、第二次世界大戦では5000万人以上が亡くなったとされます。文明の利器を使った大量殺戮時代に入ったのです。武器の技術は年々発達し、ついに原爆まで発明されました。

 

 第二次世界大戦は超大国アメリカの力で収束したと言っても過言ではないでしょう。当時の大多数のアメリカ国民はキリスト教的な精神を土台として生きていました。もともとアメリカは、信仰の自由を求めてヨーロッパから逃れてきたプロテスタントやユダヤ人の逃れの場だったからです。その頃、アメリカは世界最強の国でした。古き良き時代は民衆のキリスト教信仰の結果でした。

 第二次世界大戦後の日本も、アメリカから流れてくるキリスト教的な映画や文学から大きな影響を受けました。私が子供時代のメディアにもその影響がしっかり見られ、日本の作品自体もその影響を受けました。日本人はそれをヒューマニズムから出ていると言いましたが、実はそれはプロテスタンティズムから出ていたのです。

 しかし、今やアメリカ国民は、かつてのような信仰深さを失い、それと共に大国としての地位も失い始めました。今や、昔だったら表に出ることのなかったような反キリスト的な作品が増え、その影響を世界中に流しています。日本もその影響を受け、かつての日本の精神を世界中に流す側となりました。

 戦後70年が過ぎ、人々の精神は戦後よりも荒れ果て、各国の武器のレベルはSFレベルになりつつあります。もしこれから世界大戦が起きれば、以前の世界大戦以上の人的被害、環境被害が出ることは間違いありません。そして、もはやかつてのアメリカのような信仰深い超大国、世界の腐敗を止める抑止力的な国はもうないのです。

 2011年のアラブの春以降の中東の混乱も、大きな「時のしるし」です。それについては、時のしるし3をご覧下さい。

 

大地震、疫病、ききん

 

大地震があり、方々に疫病ききんが起こり、恐ろしいことや天からのすさまじい前兆が現われます。(ルカの福音書21章11節)

 

  特に21世紀に入ってからは、地震の急増が見られます。東日本大震災、熊本地震など、かつてない規模の大地震が頻発して起こっていますが、それは日本だけの話ではありません。世界的な地震の増加傾向があるのです。

 

 過去と現代の災害の違いは、かつては地震災害の傷跡は、時とともに癒えていくものでした。しかし、現代は違います。東日本大震災では、福島原発で大事故によって、永遠に国土が失われるという、未だかつてない甚大な被害が出て、永遠の負債となっています。現代文明の発明は、土地を完全に荒廃させるのです。国敗れて山河ありという時代は過ぎました。

 

火山の噴火も世界的に増加しており、その被害も大きくなっています。日本でも毎年どこかが噴火しています。環太平洋造山帯の噴火も増え、活動が活発になっています。太陽活動の異変からそれが起こっているというデータもありますが、いずれにせよ、近年の地震の増加はもはや誰の目にも明らかです。これからも大地震や噴火などのニュースは頻繁に流れてくることでしょう。止まるどころか増加するでしょう。これも「時のしるし」のひとつです。

 

 大地震だけでなく、疫病も世界的な問題です。科学は多くの疫病を根絶してきましたが、20世紀に入ってからも、エイズ、エボラ出血熱、殺人インフルエンザなど、次々と新たな疫病が起こっています。すでに絶滅したと思われていたペストなどの疫病も再び出現しています。しかし、貧しい国はワクチンを買えません。グローバル化の進んだ現代は、国家間の壁がないので、世界的なパンデミックが起きる可能性を持っています。これからも恐ろしい疫病との戦いは増加することでしょう。

 

2019年から始まった、新型コロナウイルスの猛威は、世界をあっという間に変えました。グローバル化した世界はみな繋がっているので、ウイルスはすぐに世界に広がります。

マスクやロックダウンや緊急事態宣言、そんなことが普通な世界になりました。

お互いの距離は遠くなり、見えない脅威にさらされるようになっています。

 

 

 また、世界では至る所で飢饉が起こっています。日本では分かりにくいのですが、異常気象や土壌汚染などで、以前よりも穀物が育たなくなっています。肥料も石油から作っているからです。

 最近の異常気象は、かつてのものとは質が違います。熱波と寒波の繰り返しが毎年起こり、水不足の地があれば、洪水の地もあります。気候が急激に変動し、動植物の絶滅や減少が大きな問題となっています。

 ほんの20年前、日本で夏に38度を観測することはめったにありませんでした。しかし、今や世界的な熱波が始まっています。この傾向はずっと続くでしょう。世界的に気候が過激になっています。人の作った発明や活動は土地を汚し続けているのです。しかし、それはこのバビロン文明の特徴なのです。

 

 日本に飢饉が見られないのは、今は食料を優先的に買える国だからです。しかし、世界は飢え始めています。もし災害や経済難で、食料自給率の低い日本の輸入が止まったら、たちどころに飢饉がやって来るでしょう。今はまだお店に行けば山のような食料が余るほどあります。究極の美食も追求できます。しかし、それは世界的に見れば非常に稀な状況なのです。借金しながら贅沢をしているだけなのです。いずれ日本は貧しい国になるでしょう。

 

高齢化や若年層の減少、労働力の質の低下、精神病の蔓延、その理由をあげればきりがありません。いつか豊かさに慣れた日本が、急に貧しくなる時、人々はどうなることでしょう。それでも気候は厳しくなるばかりで、土地の回復は見込めません。夏は激しい熱波、冬は厳しい寒波、巨大化する台風、集中豪雨、何もかも過激化しています。オイルショックが起きれば、大変なことになるはずです。他の国々も自国を救うので手一杯となれば、どうなるのでしょう。

  

人々の愛の消滅

 

 また不法がはびこるので、人々の愛は冷える(マタイ2412節)

 

 現代人は人としての愛情を失いつつあります。それは人が「けだもの」になる時代です。

 日本ではすでに常識化されているダーウィンの進化論ですが、実はまだ科学的に完全に証明されているわけではありません。実は進化論はいまだに仮説なのですが、まるで証明さされた真実であるかのように教えられています。進化論なしにこの世の成り立ちを説明しよとすると、神の創造を持ち出す以外にないので、進化論にすがっているのです。

 150年程前に「種の起源」が発表されるまでは、キリスト教国では、人間は神が特別に創造した尊厳あるものという考え方が主流でした。しかし、進化論の登場によって、人は猿から進化した動物に過ぎないという考え方が広まりました。人は進化の途上の未発展状態だが、いつかさらに上の段階に進化するという考えです。この思想のルーツはバビロンにあります。すべてが右肩上がりに良くなって行き、人は神のような完成に至るという思想が根底にあるのです。

 

 人が猿から進化した動物ならば、弱肉強食の論理は人にも当てはまります。強いものが正しく、弱いものは淘汰されるべきであり、優れた種だけの交配により、進化が進むという筋書きです。それを実際に行おうとしたのがヒットラーでした。その結果はどうなったのかは歴史を見れば明らかです。

 彼らは人の心に実際に存在する良心を否定したのです。「人を殺してはならない」という良心の声を封じ、良心を持たない冷徹な「獣」のようになったのです。それは、人は神に創られた者ではなく、ただ獣の延長線にいるという論理が正しいと信じたからこそできたことなのです。獣は罪を犯しませんが、人が獣のように生きる時、それは罪となります。なぜなら、人は神の似姿なので、神の与えた良心を持ち、善悪が分かる者だからです。善悪を知らぬ動物は、人を殺しても罪になりません。善悪を知る良心を持つ人間が殺人を犯せば罪となるのです。弱肉強食が土台の進化論では、人間の善や良心を説明することができません。

 

 近年は、不法がはびこり始め、人は罪を犯す人間よりも、罪を犯さない動物の方が、ずっと良いように感じています。ペットを家族以上に愛する人が多くなってきたのも、人の愛が冷えた結果です。ペットは裏切らず、悪がないので憧れてしまうのです。人はいっそのこと動物になりたいと思うようになります。

 しかし、確かに動物には悪はありませんが、善もありません。あわれみやいつくしみのような、人間の持つ良いもの、「良心」を持っていないのです。良心は神が人を「神の似姿」として創ったしるしなのです。進化論で良心を説明できません。しかし、良心を麻痺させるものがあります、それは間違った論理です。もし人が良心を失えば、人は最悪の獣になります。罪を犯す獣、まさに「けだもの」以下になるのです。

 進化論の蔓延は「時のしるし」のひとつです。進化論には、善悪とは何か、人は何のために生きるのか、死後にはどうなるのか、何のために存在するのか、罪とは何か、愛とは何かについては、無回答なのです。そのような偶然にまかせた思想では、人は刹那的に生きるしかありません。進化論の蔓延以降、人の精神が病に冒されやすくなったのもそのためです。人間の存在理由が無目的の偶然になってしまったからです。

 後述しますが、聖書には、終末時代には人は「獣」のような君主に支配されるという預言があります。世界はその準備を着々としてきたのです。

 

 さて、人が獣のように生きれば、人の愛は冷たくなります。動物は子育ては一生懸命やっても親の面倒は見ません。動物には善悪はありません。隣人を平等に愛することはしません。現在、けだもののような人間の行動があちことで見られるようになりました。一昔前の時代では、到底考えられないような犯罪がメディアに流れ、人は愛を現すことに疲れ始めています。人が弱肉強食の論理下に入り、愛がわからなくなっていくのです。

 メディアや芸術においても、ミステリー、ホラー、オカルトのようなネガティブなものが急増しています。比例して精神病、依存症が増え、国力は衰えていきます。人を信じられなくなり、孤立し、自己中心的になり、良心が麻痺し始めます。

 40年前、リーダーズダイジェストというアメリカの雑誌で、アメリカでの幼児虐待問題が書かれていました。その内容のひどさに、日本には自分の子供をこんな風に虐待する親は絶対にいないと思っていました。しかし、それはもはや過去の話です。日本はアメリカの進んだ道の後を必死に追っているかのようです。

    

快楽中心主義と空想話

 

 新約聖書には、使徒たちの書いた書簡があります。彼らも終末時代について、いくつも預言しています。その中に、次のような言葉があります。

 

 終わりの日には困難な時代がやって来ることをよく承知しておきなさい。そのときに人々は、自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、不遜な者、神をけがす者、両親に従わない者、感謝することを知らない者、汚れた者になり、情け知らずの者、和解しない者、そしる者、節制のない者、粗暴な者、善を好まない者になり、裏切る者、向こう見ずな者、慢心する者、神よりも快楽を愛する者になり、見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者になるからです。こういう人々を避けなさい。

(第二テモテへの手紙315節)

 

 使徒パウロの言葉は、今から二千年前のものですが、いかに現代人に対する的を射た表現を書いているかと思います。特にこの十年のモラルの低下や人間性の低下は目を見張ります。世界中でここに書かれたような人々がどんどん増え続けています。現代人はこの世に執着し、物質主義、快楽主義に陥っています。

 快楽は悪いものではありません。しかし、快楽が人の生きる目的になると、それは人間性を堕落させます。究極の美酒、美食や、性的な快楽を追求すれば、いずれ破綻する羽目になります。人は食べること、飲むこと、性的なことといった、いわゆるこの世の「肉」に夢中です。それはかつてのローマ時代のようです。

 特に全世界的に、神を汚すことに対して恐れを持たない傾向が顕著です。最近日本では、安易に「神」という言葉が使われるようになりました。「あの人はすごいよ」という意味を「神だね」と言ったりします。神を人のレベルにおとしめるなど、一昔前では考えられなかった言葉遣いです。人は、神という概念自体を軽々しく扱い始め、それによって神を汚しているのす。

 

 というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。(第二テモテへの手紙43-4節)

 

 この世の空想話(ファンタジー)は、私たちにおなじみのものです。マンガ、アニメ、映画、ゲーム、バーチャルリアリティ。これらは人間の作った空想で、現実でも真理でもありません。しかし、人はこれらの空想話に喜んで莫大な時間とお金を払います。

 かつては子供のものだった空想遊びは、今や大人のものです。人は次々に発売されるゲームやコンテンツに夢中で、真理を探究することはしません。もはや真理から目を背け、嘘やまやかしを信じようと努力し、手近な逃避で不安をまぎらわしています。

 企業は物を売るためにと、空想話を次々に作り出し、人々はそれが嘘だと知りながら、それらの熱狂的な支持者になります。人々は空想で罪を犯すことは罪ではないと定義していますが、それは大きな間違いです。心の中で犯された罪は人を病ませ、いずれ滅びをもたらします。

 最近の流行に、ある傾向があります。「獣(ビースト)」、「竜(ドラゴン)」「魔法使い(ウィッチ)」「悪魔(サタン)」です。かつて一昔前は、それらは悪役でした。しかし、今や主役級の地位にいます。空想であっても悪魔を讃えて、健全な精神になる訳がありません。

 今はまるで世界中の若い世代が、反キリストである「獣」と、悪魔である「竜」の受け入れ準備をしているかのようです。

 

●道徳の逆転

 

 ああ。悪を善、善を悪と言っている者たち。

 彼らはやみを光、光をやみとし、苦みを甘み、甘みを苦みとしている。

 (イザヤ書5章20節)

 

 かつて伝統的に悪とされたことは、今や善となり、善は悪とされています。道徳(モラル)の逆転が始まっているのです。道徳の倒錯は、罪の最終段階とも言えます。特に近年顕著なのは同性愛です。それは新しいとされますが、何ら新しくもありません。

 創世記にある「ソドムとゴモラ」の物語は、全世界への神の警告です。ソドムとゴモラの町は、性的な堕落で有名な場所でした。神はその町を調べ、天から火を下して滅ぼし、罪に対する裁きを現しました。sodomyとは性的堕落という意味です。

 ここ数年で、同性愛に対する見方があっという間にメディアによって塗り替えられました。同性愛に対して否定的な人は、まるで差別主義者のように扱われるようになりました。毎日毎日、なぜか同性愛を肯定するニュースばかりがこぞって流されています。他にも差別は沢山あるのに、なぜ同性愛問題だけを特別扱いで伝えるのでしょうか? 同性愛を広めることに、なぜこんなにも世界が躍起になっているのでしょう? 差別を無くすためと言いながら、同性愛を認めない伝統的価値観を持つ人を、新たに差別するようにしているのです。

 かつてはどの国でも同性愛は密かに行われていましたが、公には出せない罪として認識されていました。それは人の良心が罪を指摘するからです。しかし、それを罪だとはっきり宣言しているのは聖書だけです。

 聖書によれば、同性愛は罪です。罪とは的外れを意味し、異常なことを表します。例えば、人間のからだの器官には役割があります。もし胃の細胞がその与えられた役割を行わず、自分勝手な行動を始めれば、それは正常細胞ではなく、異常なガン細胞とされます。それと同じように、同性愛は人として与えられた性の役割を否定して、自己決定しようとする点で異常なのです。しかし、この異常なことを正常なことに置き換える考え方が、今世界中で広まっているのです。

 同性愛が広まるところでは、道徳の反転が起こり、ノアの時代のような悪への堕落が始まることは歴史を見ればあきらかです。時代は性的堕落と残虐さで有名だったローマの思想に逆戻りしているのです。この世は聖書を否定し、神を無視し、その警告に挑戦し、全世界のソドムとゴモラ化に向かっています。神は、そのような道徳の逆転は、恐ろしい火の裁きをもたらすと聖書によってあらかじめ警告されているのです。それをあえて行っているのは、神への挑戦なのです。

 21世紀に入ってからの道徳の逆転傾向は世界的です。これは「時のしるし」です。全世界が神の裁きを受けることになる、罪の最終段階に入ったのです。

 

 もちろん、同性愛に対して厳しい立場を取る国もあります。ロシアやイスラム諸国などがそうですが、それらの国のほとんどは、反イスラエルの立場です。

 つまり、世界は今や、反イスラエルの国か、同性愛を認める国かのどちらかの道を歩み始めています。かつてのアメリカのような、親イスラエルで同性愛を認めないキリスト教国のような国は、もはやどこにも無いのです。

 今や全世界が神の裁きの下る条件をそろえ始めたのです。ノアの時代からこのかた、こんな時代はありませんでした。

 

 これらのことが起こり始めたなら、からだをまっすぐにし、頭を上に上げなさい。贖いが近づいたのです。(ルカの福音書21章)

 

  現代のキリスト教会では、不思議なことが起こっています。キリストの福音の真理が語られず、教師が人の願いに合わせて説教しているのです。この世の成功や繁栄の話が好まれ、神の正義やさばき、罪といった話は不人気なので、自分たちの好む話だけをするのです。聖書預言の話もほとんど出て来ません。ついには聖書の教理を否定する教師も出てきました。同性愛を公然と認める牧師もいます。彼らは見えるところは敬虔でも、聖書の教理を否定する者たちです。しかし、それは教師にとどまりません。信徒の方も同じなのです。今や教会が腐敗を止める地の塩の役割を果たせない時代が来たのです。背教が起こり、教会が堕落することは、聖書に預言されています。その堕落の結果、世界の腐敗は加速度を増すことになるのです。これも「時のしるし」です。

 

 あなたがた(信仰者)は、地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。(マタイの福音書5章13節)

 

「産みの苦しみの初め」に起こる、これらの「時のしるし」の前兆を見たら、新生したクリスチャン(真にキリストを信じる者)は頭を天に向けなさい、とキリストは命じています。なぜでしょうか? 教会の贖い(携挙)が、天に帰る時が、近づいているしるしだからです。(詳しくは「今を生きる希望」の項目をご覧ください)

 

 2010年あたりから、急激に終末の時のしるしが顕著に見られるようになったように思います。戦後70年が過ぎ、戦後世代も高齢化し、戦争を知らない世代が主導権を得て、世界を動かし始めました。そして、インターネットにより悪の感染の早さはものすごく、まるでノアの時代のようになってきました。

天変地異が起こり始め、人々はそれを察知し始めています。

 しかし、今はまだ恵みの時代です。神はこれら「時のしるし」を示し、あなたが悔い改めて神に立ち返ることを、勧めているのです。

 

●イスラエルのしるし

 

イスラエルの復興と将来起こる戦争の「時のしるし」については、時のしるし3 中東情勢と聖書預言をご覧下さい。

 

 

ヨーロッパ再統一のしるし

 

 終末預言の中でも、特に有名なものは、新約聖書の「ヨハネの黙示録」でしょう。しかし、この黙示録は旧約聖書のダニエル書が無いと、解き明かすことはできません。ふたつの書物を一緒に調べることで、終末時代の全貌が浮かび上がるようになるのです。

 

 「時のしるし1現代文明の正体」の項で、文明を表す「人の形をした像」の最後の帝国は「形を変えた新ローマ」であること、終末時代はその人の形をした像の指先の部分にあたると述べましたが、その時代の詳細が書かれたものが、新約聖書の最後の書「ヨハネの黙示録」なのです。

 

 「また私は見た。海から一匹の獣が上って来た。これには十本の角と七つの頭とがあった。その角には十の冠があり、その頭には神をけがす名があった。私の見たその獣は、ひょうに似ており、足は熊の足のようで、口はししの口のようであった。竜はこの獣に、自分の力と位と大きな権威とを与えた。」(ヨハネの黙示録131-2節)

 

 この海から上って来る獣は、ひょう、熊、ししに似ており、10本の角がついています。この獣の姿は、ダニエル書に書かれた第四の獣と同じものであることが分かります。バビロン、メディアペルシャ、ギリシャの三つの帝国をルーツに持つローマ帝国が、最後にある形態となって再び現れるというのです。

 

 あなたがご覧になった足と足の指は、その一部が陶器師の粘土一部が鉄でしたが、それは分裂した国のことです。その国には鉄の強さがあるでしょうが、あなたがご覧になったように、その鉄はどろどろの粘土と混じり合っているのです。

 その足の指が一部は鉄、一部は粘土であったように、その国は一部は強く一部はもろいでしょう。鉄とどろどろの粘土が混じり合っているのをあなたがご覧になったように、それらは人間の種によって、互いに混じり合うでしょう。しかし鉄が粘土と混じり合わないように、それらが互いに団結することはありません。

(旧約聖書ダニエル書2章)

 

 最近、フランスのマクロン大統領が、自分をジュピターと比較した(2017年7月)というニュースがありました。ジュピター(ユピテル)とはゼウス神のことで、かつてのギリシャ・ローマの神です。自分を神のように形容するなど、古代ローマ皇帝以来決して起こりませんでしたし、許されませんでした。今やヨーロッパの精神は完全にローマ化したのです。

 このようなローマ的思想は様々なメディアで刷り込まれてきました。例えば、映画「2001年宇宙の旅」は、サルから進化した人間が木星(ジュピター)にたどり着き、神のような存在(スターチャイルド)になるという物語です。これには人間はいつか進化して神のようにになれるという隠喩があります。

 ヨーロッパは今、急速にキリスト教を離れ、かつてのローマの思想に戻っているのです。もはや真の信仰者は大幅に減少し、地の塩の効き目がなくなっているのです。

 

 ダニエルの預言によると、この帝国は「一部が強く、一部がもろく、人間の種によって混じり合う」と書かれています。まさに今のヨーロッパの現状の通りです。

 ヨーロッパはEUとなり、通貨統合を果たし、国境を廃止し、大統領制になり、統一を完成しようと動いています。EUのビルはバベルの塔がモチーフです。世界を再び統一するという思想の現れです。しかし、いまだに一致団結は出来ていません。なぜなら、EUには、ドイツのような強国もあれば、イタリアのような経済的問題を抱える弱い国もあるからです。イギリスのEU離脱もあり、EUの団結力はそれほど強くないことは明らかです。また、ここ数年の中東からの難民流入による人種の混じ合いで、さらに一致ができない状態になっています。

 

 しかし、現在のEUが最後に現れる復興ローマ帝国だとは言えません。なぜなら、十人の王(十本の角)がまだ現れていないからです。この十人の王(角)とは、実際に十人の支配者かもしれませんし、十個の国、あるいは組織、地域かもしれません。この帝国がヨーロッパ限定なのか、あるいは国際連合のような全世界になるのか、今はまだ確定できません。しかし、その国の中心がヨーロッパになることは間違いないでしょう。その10人の王が現れた時、ローマという獣の完全復活が起こり、大患難時代の幕開けとなるのです。現在のヨーロッパの情勢は、まさにその獣の舞台準備段階と言ってもよいでしょう。それも時のしるしです。

 

 

 

バビロンの淫婦のしるし

 

 それから、御使いは、御霊に感じた私を荒野に連れて行った。すると私は、ひとりの女が緋色の獣に乗っているのを見た。

 その獣は神をけがす名で満ちており、七つの頭と十本の角を持っていた。

 この女は紫と緋の衣を着ていて、金と宝石と真珠とで身を飾り、憎むべきものや自分の不品行の汚れでいっぱいになった金の杯を手に持っていた。

 その額には、意味の秘められた名が書かれていた。すなわち、「すべての淫婦と地の憎むべきものとの母、大バビロン。」という名であった。

 そして、私はこの女が、聖徒たちの血とイエスの証人たちの血に酔っているのを見た。(ヨハネの黙示録17章)

 

 ヨーロッパの語源はギリシャ神話に出てくる「エウロペ」です。エウロペはフェニキアの王女でした。ゼウス(ジュピター)は彼女に一目惚れし、牛の姿に変身して近づきました。エウロペが牛に乗ると、牛は海を渡って彼女を連れ去ります。つまり、「女が獣に乗っている姿」とは、ヨーロッパ(エウロパ)なのです。

 黙示録によると、その復興した新ローマ帝国である「獣」には、ひとりの女が乗っていると形容されています。 それが「バビロンの淫婦」という女です。

 

 バビロンの淫婦とは、七つの丘を持つローマの都といわれており、世界中の国々と偶像崇拝を行って姦淫を犯し、国々を堕落させる宗教組織です。淫婦とは、夫のある身で不倫を犯す妻です。つまり、神と契約を結びながら、他の神々とも契約をする、節操のない妻です。この淫婦が何を表しているのか諸説ありますが、宗教改革者たちはこれをローマ・カトリック教会のことだと信じていました。

 ローマ教会は、正しい聖書信仰を主張したプロテスタント(抗議者)を、異端者として激しく迫害して来ました。迫害されたプロテスタントたちは国を追われ、新天地アメリカを目指したのは有名な話です。

 聖母マリアの被昇天など、聖書に基づかない教理を定め、聖書よりも教会や教皇の権威の方を上にするのがローマ教会です。宗教はみな同じだから認め合おうという世界統一宗教を推し進めて来たのもバチカンです。

 今から二十年ほど前ですが、仏教系の新興宗教の教祖が、ローマ教会からの勲章授与のために祝会を行うというチラシを見たことがあります。なぜローマ教会が仏教系の宗教団体に勲章を授与するのか、また、もらった方もなぜ喜んで祝うのか、今は分かります。そもそも、勲章とは上位の者から下位の者に授けられるものだからです。バチカンはすべての宗教組織の長として君臨したいのです。その思想はこの動画を見ればあきらかです。

Pope Francis' prayer intentions for January 2016

 

 現教皇フランシスは、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、仏教など諸宗教を一致させようとしています。真のキリスト教を否定し、誰でも安易に入れる新しい世界宗教を作り、その支配者になろうとしています。

 ローマ教皇ほど世界政治の舞台に登場し、活躍する宗教家は他にいません。バチカンがこのバビロンの大淫婦である可能性はほぼ間違いないと思います。平和的に見えるこの宗教統一運動も、裏を返せば、結局何も信じていないことの表明です。まさにこの今の時代に、ローマ教会がそのような世界宗教統一運動の先導をしているということも、「時のしるし」のひとつです。

 

 いつか現れる10人の王によるローマを、最初に裏で支配するのはこの宗教組織です。

 

 

【大患難時代の時のしるし】

 

 ここからは、未来に起こるとされる産みの苦しみの時代、「大患難時代」に起きる「時のしるし」についてお話しします。

 聖書はその時に起こる事の詳細を伝えています。もしかすると、みなさんはこれらのしるしを、自分の目で見ることになってしまうのかもしれません。

 この時代に起こる大患難は、今までに起こって来た過去の患難とは比べられないほど過酷なレベルになるとされています。それは第一次世界大戦、第二次世界大戦以上の苦しみとなるでしょう。産みの苦しみの初めよりも、出産寸前の方が、陣痛の頻度も痛みも強くなるように、大患難時代は出産間近の大きな激痛の時代となるのです。

 

 そのときには、世の初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような、ひどい苦難があるからです。もし、その日数が少なくされなかったら、ひとりとして救われる者はないでしょう。しかし、選ばれた者のために、その日数は少なくされます。(マタイによる福音書24章21、22節)

 

 私たちの想像をはるかに超えた大患難の連続が、この期間中に起こります。それはエゼキエルの預言した中東の大戦争の後に起こることだと思われます。

(エゼキエルの預言については時のしるし3 中東情勢と聖書預言を御覧ください)

 

●日、月、星、海などの異変のしるし

 

 そして、日と月と星には、前兆が現われ、地上では、諸国の民が、海と波が荒れどよめくために不安に陥って悩み、人々は、その住むすべての所を襲おうとしていることを予想して、恐ろしさのあまり気を失います。天の万象が揺り動かされるからです。(ルカの福音書21章)

 

 現在、世界中の科学者が地球環境の未来予測をしていますが、地球環境が良くなるという話はまったく聞きません。むしろ地球を離れて火星に移住しようと言う人が出る始末です。火星を地球環境に作り変えるよりも、地球を回復させる方に力を入れた方が現実的だと思うのですが、そうは思わないようです。人々は名を上げるために宇宙開発を推進します。しかし、残念ながらそれは竜宮城を目指すのと同じです。宇宙は想像以上に過酷な環境なのです。人類が宇宙に逃げられると思うのは空想話を真に受けた愚かな考えです。普通に考えれば分かる話ですが、人々はバベルの塔を目指したように、天を目指します。

 

 全世界の科学者たちは口をそろえて、今まで経験したことのない未曾有の大災害が増えると言います。しかし、聖書はそれをはるか昔から預言して来ました。

   ここ数年、太陽に異常が見られています。太陽活動が弱まっており、2030年頃には氷河期が来ると予測する科学者たちもいます。太陽活動が弱まると、何が起こるのかというと、気温の低下、気象災害の増加、海流の異変だといわれています。

 聖書の預言によると、終末時代には、太陽も月も光を失うと書かれています。それはもはや非現実的なことではありません。

 終末時代には海が大いに荒れ、人々が不安になるだろうといわれています。ダニエル書にも大洪水の預言があります。

 

その終わりには洪水が起こり、その終わりまで戦いが続いて、荒廃が定められている。(ダニエル9章26

 

 この時代には、世界的な大洪水が起こることでしょう。また、海が一変し、荒れ続けるのです。科学者たちは未来予測をして、気絶してしまうほどになるのです。もはや人間の手で地球を元どおりにすることはできませんし、抗うこともできません。宇宙に逃げることもできません。そして、そのような荒廃状態は終末までずっと続くのです。

 また、天のしるしはそれだけではありません。オリオン座にも見られるといいます。

 

 見よ。主の日が来る。残酷な日だ。

 憤りと燃える怒りをもって、地を荒れすたらせ、

罪人たちをそこから根絶やしにする。

 天の星、天のオリオン座は光を放たず

太陽は日の出から暗く、月も光を放たない。

わたしは、その悪のために世を罰し、その罪のために悪者を罰する。

 不遜な者の誇りをやめさせ、横暴な者の高ぶりを低くする。

(イザヤ書13章9−11節)

 

 最近、オリオン座のベテルギウスという星が、そろそろ寿命を迎え、いつ超新星爆発が起こってもおかしくない状態だと科学者たちが口をそろえて言っています。もし、超新星爆発が起こったら、ペテルギウスは数ヶ月間、真昼でも肉眼で見られるほど光り輝き、その後、次第に光を失い、完全に見えなくなるといわれています。いつかオリオン座のベテルギウスが消滅するというしるしを見るのかもしれません。

 日の出から暗い太陽、ペテルギウスの消滅。聖書はそれを何千年も前から預言してきましたが、それが起こる可能性が今この時代に集中しているという事実は、偶然では片付けられません。

 

反キリスト(獣)のしるし

 

 御使いはまた私に言った。

 「あなたが見た水、すなわち淫婦がすわっている所は、もろもろの民族、群衆、国民、国語です。あなたが見た十本の角と、あの獣とは、その淫婦を憎み、彼女を荒廃させ、裸にし、その肉を食い、彼女を火で焼き尽くすようになります。それは、神が、みことばの成就するときまで、神のみこころを行なう思いを起こさせ、彼らが心を一つにして、その支配権を獣に与えるようにされたからです。あなたが見たあの女は、地上の王たちを支配する大きな都のことです。」(黙示禄17章15〜18節)

 

 バビロンの淫婦である宗教組織は、最初は10人の王たちを支配する関係ですが、後に現れる「反キリスト」の登場によって、3人の王とこの宗教組織は滅ぼされてしまいます。

 この「反キリスト」とは、他の10人の王とは違って、ひとりの人間です。彼は、後に自らを神とする世界宗教を打ち立てるために、バビロンの淫婦の宗教的支配が邪魔になるのでしょう。

 

 「それから私は、第四の獣について確かめたいと思った。

 それは、ほかのすべての獣と異なっていて、非常に恐ろしく、きばは鉄、爪は青銅であって、食らって、かみ砕いて、その残りを足で踏みつけた。その頭には十本の角があり、もう一本の角が出て来て、そのために三本の角が倒れた。

 その角には目があり、大きなことを語る口があった。その角はほかの角よりも大きく見えた。

 私が見ていると、その角は、聖徒たちに戦いをいどんで、彼らに打ち勝った。しかし、それは年を経た方が来られるまでのことであって、いと高き方の聖徒たちのために、さばきが行なわれ、聖徒たちが国を受け継ぐ時が来た。

 彼はこう言った。

『第四の獣は地に起こる第四の国。これは、ほかのすべての国と異なり、全土を食い尽くし、これを踏みつけ、かみ砕く。十本の角は、この国から立つ十人の王。彼らのあとに、もうひとりの王が立つ。彼は先の者たちと異なり、三人の王を打ち倒す。彼は、いと高き方に逆らうことばを吐き、いと高き方の聖徒たちを滅ぼし尽くそうとする。彼は時と法則を変えようとし、聖徒たちは、ひと時とふた時と半時の間、彼の手にゆだねられる。』

 

 ここに書かれた「もう一本の角」、「もうひとりの王」が、「反キリスト」と呼ばれるひとりの人物です。この反キリストは、別名「獣」とも呼ばれています。

 反キリストは、邪魔者を次々と消しながら、復興ローマ帝国の全権を掌握します。彼の究極の望みは、イスラエルとクリスチャンの絶滅です。キリスト生誕の西暦も必ず変えてしまうことでしょう。

  ダニエル書の語った四つの帝国が「獣」と表現されていることは、神に反するバビロン文明が、実は良心も信仰もあわれみも持たない、「けだもの」のような国になるという意味ではないでしょうか。反キリストはそのような獣が具現化された人間なのです。一見、罪がないように見えて、けだもののような本性を持っているのです。

 

反キリストの暗殺と復活のしるし

 

 その頭のうちの一つは打ち殺されたかと思われたが、その致命的な傷も直ってしまった。そこで、全地は驚いて、その獣に従い、そして、竜を拝んだ。獣に権威を与えたのが竜だからである。また彼らは獣をも拝んで、「だれがこの獣に比べられよう。だれがこれと戦うことができよう。」と言った。

 この獣は、傲慢なことを言い、けがしごとを言う口を与えられ、四十二か月間活動する権威を与えられた。

 そこで、彼はその口を開いて、神に対するけがしごとを言い始めた。すなわち、神の御名と、その幕屋、すなわち、天に住む者たちをののしった。

彼はまた聖徒たちに戦いをいどんで打ち勝つことが許され、また、あらゆる部族、民族、国語、国民を支配する権威を与えられた。地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、世の初めからその名の書きしるされていない者はみな、彼を拝むようになる。耳のある者は聞きなさい。

 とりこになるべき者は、とりこにされて行く。剣で殺す者は、自分も剣で殺されなければならない。ここに聖徒の忍耐と信仰がある。(黙示録13310節)

 

 反キリストの登場は世界中から熱狂的に受け入れられます。彼は不思議な悪魔の力を得ています。そして、キリストの死と復活を模倣します。

 ある日、彼は致命的な傷を受けて殺されるのですが、奇跡的な復活を成し遂げます。もしケネディ大統領暗殺事件の三日後に、大統領が元気に公に出て来たらどうでしょう。もはやその人は、並の人間ではない、神のような存在だと思うのではないでしょうか。この奇跡的なしるしにより、世界中の人々は彼を神だと崇めます。そして、世界は彼を盲信することで、竜(悪魔)を崇拝することになるのです。 

 

ふたりの証人のしるし

 

 見よ。わたしは、主の大いなる恐ろしい日が来る前に、預言者エリヤをあなたがたに遣わす。彼は、父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせる。それは、わたしが来て、のろいでこの地を打ち滅ぼさないためだ。(マラキ書45節)

 

 預言者マラキはその預言書の中で、神のさばきの前に、エリヤの霊を持つ者がイスラエルに現れ、神の御心をイスラエル民族に伝えるだろうと預言しました。エリヤとは旧約聖書に出てくるイスラエルの預言者のひとりです。

 預言者マラキの三百年後に、イスラエルにバプテスマのヨハネが現れ、イエス・キリストの到来をイスラエル民族に告げ知らせました。彼は神のさばき(ユダヤ戦争と離散)の前に、イスラエルの民に対して警告をするエリヤの役割を果たしました。

 

 イエスは答えて言われた。「エリヤが来て、すべてのことを立て直すのです。しかし、わたしは言います。エリヤはもうすでに来たのです。ところが彼らはエリヤを認めようとせず、彼に対して好き勝手なことをしたのです。人の子もまた、彼らから同じように苦しめられようとしています。」そのとき、弟子たちは、イエスがバプテスマのヨハネのことを言われたのだと気づいた。(マタイの福音書 17章)

 

 バプテスマのヨハネは、イエス・キリストの初臨の時に、エリヤの役割を果たしましたが、人々は聞き入れませんでした。しかし、それでマラキの預言のすべてが成就したのではありません。このキリストの預言通り、いつか再びエルサレムにエリヤがやって来て、イスラエル民族にキリストの再臨の到来を告げ知らせるのです。その役割をする人物の預言が黙示禄にあります。

 

 それから、わたしがわたしのふたりの証人に許すと、彼らは荒布を着て千二百六十日の間預言する。

 彼らは全地の主の御前にある二本のオリーブの木、また二つの燭台である。彼らに害を加えようとする者があれば、火が彼らの口から出て、敵を滅ぼし尽くす。彼らに害を加えようとする者があれば、必ずこのように殺される。この人たちは、預言をしている期間は雨が降らないように天を閉じる力を持っており、また、水を血に変え、そのうえ、思うままに、何度でも、あらゆる災害をもって地を打つ力を持っている。

 そして彼らがあかしを終えると、底知れぬ所から上って来る獣が、彼らと戦って勝ち、彼らを殺す。彼らの死体は、霊的な理解ではソドムやエジプトと呼ばれる大きな都の大通りにさらされる。彼らの主もその都で十字架につけられたのである。

 もろもろの民族、部族、国語、国民に属する人々が、三日半の間、彼らの死体をながめていて、その死体を墓に納めることを許さない。また地に住む人々は、彼らのことで喜び祝って、互いに贈り物を贈り合う。それは、このふたりの預言者が、地に住む人々を苦しめたからである。

 しかし、三日半の後、神から出たいのちの息が、彼らにはいり、彼らが足で立ち上がったので、それを見ていた人々は非常な恐怖に襲われた。そのときふたりは、天から大きな声がして、「ここに上れ。」と言うのを聞いた。そこで、彼らは雲に乗って天に上った。彼らの敵はそれを見た。(黙示録11章)

 

 このふたりの証人は、いつか必ずエルサレムに現れます。そこがキリストが十字架につけられた場所だからです。ふたりの内のひとりは、マラキ書に書かれたエリヤの役割を果たします。確かにユダヤ教徒は、今でもエリヤの到来を待ち望んでいます。過越しの祭りの食事ではエリヤの席を用意します。

 もうひとりは誰なのか諸説がありますが、モーセではないかと言われています。キリスト受難前の変貌の山でエリヤとモーセが現れたからです。

 彼らふたりはイスラエルに対してだけでなく、全世界に対してもキリストの福音をあかしします。こうして、世界中の人々が、1260 日(3年半)の間、キリストの福音を聞くのです。ふたりの話を聞いてキリストを信じる人々が世界中に現れます。しかし、世界は、このふたりの証人を憎みます。なぜなら、このふたりが、反キリストを非難し、やがて来る神のさばきとキリストの再臨を語り、神への降伏を勧め、悔い改めを説くからです。このふたりの証人は世界に対する神の最後通牒の使節です。

 そして世界の国々は、彼らを殺して欲しいと反キリストに願うのです。その望みを叶えることができるのは、悪魔のような力を持つ彼だけだからです。

 

エルサレム第三神殿建設のしるし

 

  だれにも、どのようにも、だまされないようにしなさい。なぜなら、まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現われなければ、主の日は来ないからです。彼は、すべて神と呼ばれるもの、また礼拝されるものに反抗し、その上に自分を高く上げ、神の宮の中に座を設け、自分こそ神であると宣言します。(第二テサロニケ24節)

 

 パウロがこの預言を書いた当時、まだエルサレムには第二神殿が建っていました。ユダヤ戦争によるエルサレム陥落がまだ起こっていなかったからです。後にローマ軍による神殿破壊が起こり、その日以来、今もエルサレムに神殿は建っていません。しかし、第三番目の神殿再建を望むユダヤ教徒は増えており、すでにその再建準備を始めています。この神殿再建も「時のしるし」の一つです。ある意味、神殿自体が無い現在は、まだ反キリストが自分を神と宣言できない時代です。しかし、いつか第三神殿が再建されたなら、反キリストの舞台は整います。神殿再建は7年の大患難時代の前ではないかと言われています。いずれにせよ、第三神殿の再建は世界に対する大きな「時のしるし」となります。反キリストは、いつわりの復活後、ふたりの証人を殺し、第三神殿で自分を神と宣言するのです。

 

 この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす憎むべき者』が、聖なる所に立つのを見たならば、(読者はよく読み取るように。)

 そのときは、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。屋上にいる者は家の中の物を持ち出そうと下に降りてはいけません。畑にいる者は着物を取りに戻ってはいけません。だが、その日、悲惨なのは身重の女と乳飲み子を持つ女です。ただ、あなたがたの逃げるのが、冬や安息日にならぬよう祈りなさい。

 そのときには、世の初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような、ひどい苦難があるからです(マタイの福音書24章)

 

 イエス・キリストは、「預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす憎むべき者』が、聖なる所に立つのを見たならば」という条件を定め、その時代に信仰を持ったユダヤ民族に、山へ逃げるよう命じています。そのダニエルの預言はこうです。

 

 その終わりには洪水が起こり、その終わりまで戦いが続いて、荒廃が定められている。彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、半週の間、いけにえとささげ物とをやめさせる。荒らす忌むべき者が翼に現われる。ついに、定められた絶滅が、荒らす者の上にふりかかる。(ダニエル9章)

 

 預言者ダニエルの語った、この「荒らす忌むべき者」は、かつて一度だけ現れたことがあります。バビロン捕囚から帰還してきたユダヤ人が立てた第二神殿に、セレウコス朝シリアの王、アンティオコス・エピファネスが侵入し、ゼウスの像を建て、異邦人は入ってはならない神聖な場所を汚した事件です。その時、ユダヤ人たちが抵抗し、勝利を得ました。これがマカベア戦争です。外典のマカベア書にはその詳細が書かれています。

 キリストの時代、すでにマカベア戦争は過去の話でした。しかし、キリストは、このダニエルの預言は、いまだ完全に成就されておらず、同じような出来事が終末に起こると言われたのです。

 反キリストはふたりの証人の殺害に成功すると、エルサレム神殿に上り、自らを神と宣言します。殺されたふたりの証人は3日後に復活し、天に昇って行くのですが、その様な奇跡を見ても、世界は反キリストの言葉の方を信じるのです。

 しかし、ふたりの証人の話を聞き、神を信じたユダヤ人たちは、反キリストの神宣言を聞くやいなや、キリストの指示通りに山へ逃げて行くのです。それはかつてのユダヤ戦争の時に、エルサレムを脱出して逃げたクリスチャンたちと同じです。

 

 この獣は、傲慢なことを言い、けがしごとを言う口を与えられ、四十二か月間活動する権威を与えられた。そこで、彼はその口を開いて、神に対するけがしごとを言い始めた。すなわち、神の御名と、その幕屋、すなわち、天に住む者たちをののしった。彼はまた聖徒たちに戦いをいどんで打ち勝つことが許され、また、あらゆる部族、民族、国語、国民を支配する権威を与えられた。(黙示録135-7節)

 

 かつてローマ皇帝ネロが、皇帝礼拝をしないキリスト教徒を迫害した時代がありました。同じように反キリストは自分を拝まないキリスト教徒に大迫害を行うでしょう。世界は黙示録が書かれた2000年前と同じような時代背景になって行くのです。 反キリストはこの時、ヨーロッパだけでなく全世界を掌握し、クリスチャンの大迫害を命じます。

 

 ダニエル書のイスラエルの70週目のしるし 

 

 彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、半週の間、いけにえとささげ物とをやめさせる。荒らす忌むべき者が翼に現われる。ついに、定められた絶滅が、荒らす者の上にふりかかる。(ダニエル9章)

 

 ダニエルの預言によれば、イスラエル民族には70週が定められています。69週目に、イエス・キリストが来て、十字架につけられました。ローマと戦争して敗れたユダヤ人は世界中に離散し、歴史の表舞台から消えていたことは、イスラエルの復興預言の項ですでに学びました。

  イスラエルの神の時計は、現在69周目で止まったままですが、まだ最後の70週目が残っているのです。その最後の一週が始まると、終末時代とイスラエル復興のカウントダウンが始まります。この70週目が、大患難時代と呼ばれる最後の7年間であると言われており、ダニエル書の人の像の足の指先部分の時代となります。この時代の日数は前もって決められているのです。

 

 この七年間は反キリストの登場と破滅の時代です。彼が登場すると、まず最初にすることは、多くの国々と固い平和条約を結ぶことです。エゼキエル戦争で勝利したイスラエルとも平和の契約を結ぶでしょう。恐ろしい戦争の後、彼はまるで世界平和の救世主のように世界中から愛されるはずです。

 この7年は前半の三年半と後半の三年半に分かれます。前半でふたりの証人が現れ、10人の王のうち、3人が倒れます。

  7年の後半で、反キリストは、奇跡的な復活劇をし、全世界が完全に騙されて、反キリストを現人神だと信じ込みます。彼はエルサレムにやって来て、ふたりの証人を殺害し、かつてのアンティオコス・エピファネスと同じことをし始め、エルサレム神殿に入ってユダヤの神礼拝を止めさせ、自分の偶像を安置し、神宣言するのです。世界の目はイスラエルに注目されます。神の目もイスラエルに再び注がれるのです。

 

獣の像と獣のしるし

 

 「それから、その獣の像に息を吹き込んで、獣の像がもの言うことさえもできるようにし、また、その獣の像を拝まない者をみな殺させた。また、小さい者にも、大きい者にも、富んでいる者にも、貧しい者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々にその右の手かその額かに、刻印を受けさせた。また、その刻印、すなわち、あの獣の名、またはその名の数字を持っている者以外は、だれも、買うことも、売ることもできないようにした。ここに知恵がある。思慮ある者はその獣の数字を数えなさい。その数字は人間をさしているからである。その数字は六百六十六である。」(黙示録13章節)

 

 ものを話せる偶像、それは可能でしょうか? 一昔前ならとうてい不可能なことも、現代なら可能だとは思いませんか。人型ロボットも性能が良くなり、年々人間そっくりになっています。様々なテクノロジーが急激に進歩し、バーチャルリアリティも驚くほど現実に近づき、AIは大発展しています。誰もが時代が変わったと感じています。このまま行けば、流暢にものを話しす偶像が人を支配することも可能となるのです。

 

 反キリストが神宣言した後、彼は世界中の人々に対して、自分への忠誠を誓わせます。自分の獣の刻印を受けるか受けないかで人々を区別するのです。獣のしるしを踏み絵にし、自分を神と信じる者には、褒美として売買を可能にさせます。しかし、自分を信じない者には数字を与えず、経済制裁を行います。

 今や数字で人を管理することが可能な時代です。現金が無くなる時代も間近です。この獣の数字666の意味は諸説ありますが、ヘブライ語は数字に換算できるのです。ヨハネが黙示録を書いた当時は、ローマ皇帝ネロによるキリスト教徒の大迫害の時代でした。ネロ皇帝の名前を数字にすると666となりました。来たるべき反キリストは皇帝ネロのような人物なのでしょう。大患難時代の人々には、その数字の持つ意味が明らかにされることでしょう。

 聖書は、獣の刻印を絶対に受けてはならないと、特に厳しく警告しています。獣のしるしを受けた者には、後で恐ろしい裁きが待っていると預言されているからです。

 この刻印を受けることによって、何か精神的、肉体的、人格的な変化が起こるのかもしれません。例えば人間の良心が麻痺し、獣と同じ人格になるとか、悪魔的な力を持つとか、その様な変化が生じるのかもしれません。そうなると、その人はもはや人ではなく、獣となって、神への信仰を持つこと自体が不可能になってしまうのかもしれません。いったん獣のしるしを受けてしまったら、後戻りができなくなる状態になるのでしょう。もはや悔い改めて神に立ち返るということは起きなくなるのでしょう。その時の世界は、すでにふたりの証人によって福音を聞き、獣のしるしを決して受けてはならないと警告されているはずです。獣の刻印を受けるかどうかは、それぞれの選択に任されます。人は、どちらかを選ばなければならなくなります。反キリストを神として崇め、獣の刻印を受けて獣となるか、真の神のことばを信じて獣を拒否し、聖徒として生きて迫害に遭うか、これは大きな試練です。

 獣の刻印を受けた者たちは、後に再臨したキリストご自身によってさばかれて、火の池に落とされると書かれています。獣を拒否し、神を選んだ者たちは、殉教するか、逃亡生活を強いられますが、その迫害期間は3年半です。3年半後、キリストは再臨し、全世界から生き残りの信仰者を集めます。この期間に殉教した者たちはよみがえり、生き残っていて集められた信仰者と共に、キリストの千年王国を統治することが約束されています。

(この詳細は「天国への道」の項目をご覧ください)

 

 

【イスラエルの完全復興のしるし】

 

 今から2500年前の預言者エゼキエルは、イスラエルに対してこう語っていました。

 

 主の御手が私の上にあり、主の霊によって、私は連れ出され、谷間の真中に置かれた。そこには骨が満ちていた。主は私にその上をあちらこちらと行き巡らせた。なんと、その谷間には非常に多くの骨があり、ひどく干からびていた。

 主は私に仰せられた。「人の子よ。これらの骨は生き返ることができようか。」私は答えた。「神、主よ。あなたがご存じです。」

 主は私に仰せられた。「これらの骨に預言して言え。干からびた骨よ。主のことばを聞け。神である主はこれらの骨にこう仰せられる。見よ。わたしがおまえたちの中に息を吹き入れるので、おまえたちは生き返る。わたしがおまえたちに筋をつけ、肉を生じさせ、皮膚でおおい、おまえたちの中に息を与え、おまえたちが生き返るとき、おまえたちはわたしが主であることを知ろう。」

 私は、命じられたように預言した。私が預言していると、音がした。なんと、大きなとどろき。すると、骨と骨とが互いにつながった。私が見ていると、なんと、その上に筋がつき、肉が生じ、皮膚がその上をすっかりおおった。しかし、その中に息はなかった。

(エゼキエル37章)

 

 ユダヤ人は約2000年間、世界中に離散していましたが、この預言の通り、墓から引き上げられるように、世界中からイスラエルに帰還しました。しかし、国は再建出来ても、イスラエルはイエス・キリストを知らず、体(国)はあっても、その中には息(霊)がなく、今その心は霊的には死んでいる状態です。しかし、終末の時が来ると、神のいのちの息が吹き込まれ、彼らは霊的に復興するというのです。

 

 神である主はこう仰せられる。見よ。わたしは、イスラエル人を、その行っていた諸国の民の間から連れ出し、彼らを四方から集め、彼らの地に連れて行く。わたしが彼らを、その地、イスラエルの山々で、一つの国とするとき、ひとりの王が彼ら全体の王となる。彼らはもはや二つの国とはならず、もはや決して二つの王国に分かれない。彼らは二度と、その偶像や忌まわしいもの、またあらゆるそむきの罪によって身を汚さない。わたしは、彼らがかつて罪を犯したその滞在地から彼らを救い、彼らをきよめる。彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。

 

 イスラエルは、その時、神の民として完全復活します。彼らの目が開かれ、もう二度と神から離れず、離散することもありません。

 

 わたしのしもべダビデが彼らの王となり、彼ら全体のただひとりの牧者となる。彼らはわたしの定めに従って歩み、わたしのおきてを守り行なう。

 彼らは、わたしがわたしのしもべヤコブに与えた国、あなたがたの先祖が住んだ国に住むようになる。そこには彼らとその子らとその子孫たちとがとこしえに住み、わたしのしもべダビデが永遠に彼らの君主となる。わたしは彼らと平和の契約を結ぶ。これは彼らとのとこしえの契約となる。

 わたしは彼らをかばい、彼らをふやし、わたしの聖所を彼らのうちに永遠に置く。わたしの住まいは彼らとともにあり、わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。わたしの聖所が永遠に彼らのうちにあるとき、諸国の民は、わたしがイスラエルを聖別する主であることを知ろう。」(エゼキエル37章)

 

 この預言の書かれたエゼキエルの時代、ダビデ王はもはや過去の人でした。ですから、ここに書かれているダビデとは、ダビデの子孫であるイエス・キリストのことです。もともとイエス・キリストはユダヤ人の王として来たのです。しかし、ユダヤ民族には受け入れる準備はできていませんでした。

 

 「兄弟たち。私はあなたがたに、ぜひこの奥義を知っていていただきたい。それは、あなたがたが自分で自分を賢いと思うことがないようにするためです。その奥義とは、イスラエル人の一部がかたくなになったのは異邦人の完成のなる時までであり、こうして、イスラエルはみな救われる、ということです。こう書かれているとおりです。

「救う者がシオンから出て、ヤコブから不敬虔を取り払う。これこそ、彼らに与えたわたしの契約である。それは、わたしが彼らの罪を取り除く時である。

(ローマ112527節)」

 

「もし彼らの捨てられることが世界の和解であるとしたら、彼らの受け入れられることは、死者の中から生き返ることでなくて何でしょう。(ローマ1115節)」

 

 イエスキリストが二千年前に来られた時、イスラエルは罪にまみれており、預言通り、自分たちのキリストを十字架につけて殺してしまいました。その結果、神のさばきが下り、彼らは戦争に負け、世界中に離散しました。その神の恵みは、異邦人に流れて行きました。こうしてイスラエルは一時的には捨てられましたが、そのおかげで多くの異邦人に救いが与えられたのです。これが異邦人の時です。かつてアブラハムに語られたように、世界中がイスラエルによって祝福されたのです。しかし、いつしか異邦人もイスラエル民族を迫害することで罪にまみれました。

 預言によれば、イスラエルがかたくなにされるのは、「異邦人の完成なる時」まであり、その時が来ると、イスラエルのかたくなさは完全に取り去られるといいます。

 その「異邦人の完成」の時とは、キリストの花嫁である教会の完成する日、携挙の日です。こうして、いつか異邦人の恵みの時代が終わり、その恵みはイスラエルに戻ります。神が再びイスラエルに戻ってくる日が来るのです。

 キリスト再臨の日、それはイスラエルの復活の日です。彼らはまるで死者が生き返るようにして、二千年ぶりに生き返るのです。

 現在、不思議なことに、二千年前と真逆のことが起こっています。今や世界中でキリスト教は攻撃され、真のキリスト教徒はどんどん少なくなっています。しかし、それとは逆に、今まで絶対に信じなかったユダヤ人がキリスト教徒にどんどんなっているのです。このような逆転現象は二千年の間一度も無かったことです。福音は二千年前にエルサレムから出て、西回りで地球をめぐり、再びエルサレムに戻って来たのです。

 

 

【キリストの再臨と終末】

 

  こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。

 イエスが上って行かれるとき、弟子たちは天を見つめていた。すると、見よ、白い衣を着た人がふたり、彼らのそばに立っていた。そして、こう言った。

 「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」

 そこで、彼らはオリーブという山からエルサレムに帰った。この山はエルサレムの近くにあって、安息日の道のりほどの距離であった。(使徒1章912節)

 

 二千年前、イエスキリストはエルサレムの東にある「オリーブ山」から昇天しました。それには大きな意味があるのです。オリーブ山とは、ゼカリヤ書に預言されているキリストの降りてくる山なのです。

 

  キリスト生誕500年前の預言者ゼカリヤは、「主の日」という終末の日のことを詳しく預言しています。

 

 見よ。主の日が来る。その日、あなたから分捕った物が、あなたの中で分けられる。 わたしは、すべての国々を集めて、エルサレムを攻めさせる。町は取られ、家々は略奪され、婦女は犯される。町の半分は捕囚となって出て行く。しかし、残りの民は町から断ち滅ぼされない。

 主が出て来られる。決戦の日に戦うように、それらの国々と戦われる。

 その日、主の足は、エルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ。オリーブ山は、その真中で二つに裂け、東西に延びる非常に大きな谷ができる。山の半分は北へ移り、他の半分は南へ移る。山々の谷がアツァルにまで達するので、あなたがたは、わたしの山々の谷に逃げよう。ユダの王ウジヤの時、地震を避けて逃げたように、あなたがたは逃げよう。私の神、主が来られる。すべての聖徒たちも主とともに来る

(ゼカリヤ14章)

 

 キリストがオリーブ山から天に昇ったのは、再臨の時、そのままオリーブ山に降りて来るからです。

 イエス・キリストが再び来る目的は、前回とはまったく違います。前回は人々の罪を背負うために来たのですが、今度は世界をさばくためにやって来るのです。

  反キリストによって世界中の軍隊がメギドの丘に集められ、エルサレムは攻められます。そんな絶体絶命の時に、キリストが天からオリーブ山に降りて来るのです。キリストが再びオリーブ山の上に降り立つその時、山が二つに割れるのです。反キリストを信ないユダヤ教徒たちは、ゼカリヤ書の預言を信じて、その割れた谷に向かって逃げ込むのです。そこには再臨のキリストが待っています。しかし、彼らはそのキリストの姿を見て驚くのです。

 

 「見よ、彼が、雲に乗って来られる。すべての目、ことに彼を突き刺した者たちが、彼を見る。地上の諸族はみな、彼のゆえに嘆く。しかり。アーメン。(黙示録 1:7)」

 

 「わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと哀願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見、ひとり子を失って嘆くように、その者のために嘆き、初子を失って激しく泣くように、その者のために激しく泣く。(ゼカリヤ12:10)」

 

 天から下って来たキリストの姿を見て、ユダヤ人たちは呆然とするはずです。ユダヤ教徒は二千年間、離散の苦難の中でも、ずっとキリスト(メシア)を待ち望んで来たのです。しかし、彼らのキリストとはイエスではなかったのです。しかし、あんなにも待ち望んでいたキリストが、何と二千年前に自分たちが十字架につけて突き刺したイエスであったと知って、彼らは激しく嘆き悲しむのです。神は彼らに御霊を注がれ、律法ののろいは解かれ、彼らの心の目は開かれます。彼らは心から悔い改め、今度こそキリストを王に迎えるのです。彼らは神に寄って霊的に復活します。

 

 また、私は竜の口と、獣の口と、にせ預言者の口とから、かえるのような汚れた霊どもが三つ出て来るのを見た。彼らはしるしを行なう悪霊どもの霊である。彼らは全世界の王たちのところに出て行く。万物の支配者である神の大いなる日の戦いに備えて、彼らを集めるためである。

 見よ。わたしは盗人のように来る。目をさまして、身に着物をつけ、裸で歩く恥を人に見られないようにする者は幸いである。

 こうして彼らは、ヘブル語でハルマゲドンと呼ばれる所に王たちを集めた。

(黙示録16章)

 

 「ハルマゲドン」という言葉は、今や世界最終戦争という意味で一般的に使われるようになっていますが、実はイスラエルの地名です。ヘブル語ではハルメギド、意味は「メギドの丘」のことです。

 反キリストの軍隊は、ふたりの証人の福音を拒否し、反キリストを神と信じて、獣のしるしを受けた者たちです。彼らは再臨のキリストを攻撃するために軍隊を招集します。

 

 また私は、獣と地上の王たちとその軍勢が集まり、馬に乗った方とその軍勢と戦いを交えるのを見た。すると、獣は捕えられた。また、獣の前でしるしを行ない、それによって獣の刻印を受けた人々と獣の像を拝む人々とを惑わしたあのにせ預言者も、彼といっしょに捕えられた。そして、このふたりは、硫黄の燃えている火の池に、生きたままで投げ込まれた。(黙示録19章)

 

 反キリスト軍は、科学技術の粋を集めた武器を用いて、キリストを滅ぼそうとするでしょう。もちろん、彼らはキリストを神とは信じていません。キリストをエイリアンや宇宙人、人類の敵などと言って戦うのかもしれません。しかし、神と戦っても勝ち目はありません。どんな武器も、どんな軍勢も、帰って来たキリストにはかないません。キリストはすぐに反キリストを倒し、さばきを行います。

  

 主は、エルサレムを攻めに来るすべての国々の民にこの災害を加えられる。彼らの肉をまだ足で立っているうちに腐らせる。彼らの目はまぶたの中で腐り、彼らの舌は口の中で腐る。その日、主は、彼らの間に大恐慌を起こさせる。彼らは互いに手でつかみ合い、互いになぐりかかる。(ゼカリヤ141213節)

 

 国々は立ち騒ぎ、諸方の王国は揺らいだ。神が御声を発せられると、地は溶けた。万軍の主はわれらとともにおられる。ヤコブの神はわれらのとりでである。

 来て、主のみわざを見よ。主は地に荒廃をもたらされた。主は地の果てまでも戦いをやめさせ、弓をへし折り、槍を断ち切り、戦車を火で焼かれた。

 「やめよ。わたしこそ神であることを知れ。わたしは国々の間であがめられ、地の上であがめられる。」

 万軍の主はわれらとともにおられる。ヤコブの神はわれらのとりでである。(詩編46篇6-11節)

 

イエス・キリストはその日に起こる事を、こう預言しました。

 

 人の子の来るのは、いなずまが東から出て、西にひらめくように、ちょうどそのように来るのです。死体のある所には、はげたかが集まります。これらの日の苦難に続いてすぐに、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます。そのとき、人の子のしるしが天に現われます。すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。(マタイの福音書24章)

 

 「人の子」とはキリストの別称です。キリストのしるしが天に現れ、全世界の人々は、キリストが再臨したことを知るでしょう。全世界は再臨のキリストの姿を見て、悲しみに包まれます。自分たちの文明が敗北し、真の神がイエスだったことを知るからです。キリストは地上に君臨します。

 

 こうして、ダニエル書に預言されていた「人の形をした像」バビロン文明は、「人手によらずに切り出された石」であるキリストの再臨によって、粉々に砕かれ崩壊します。

 戦争と荒廃の大患難時代は終わり、全世界にキリストの平和が訪れます。世界はキリストの支配下に置かれ、地上は癒され、キリストを王とする千年王国が始まります。難産だった出産は終わり、素晴らしい神の国が生まれるのです。

 

時のしるしを見分けましょう

 

  イエスは彼らに答えて言われた。「あなたがたは、夕方には、『夕焼けだから晴れる。』と言うし、朝には、『朝焼けでどんよりしているから、きょうは荒れ模様だ。』と言う。そんなによく、空模様の見分け方を知っていながら、なぜ時のしるしを見分けることができないのですか。(マタイの福音書16章)

 

 世界は大変な時代を迎えようとしています。この文明の当初から、その終わりの姿は聖書に預言されているのです。この世が神を否定し、自分たちの理性を神とする限り、真の祝福も、平和も得ることは出来ません。

 キリストは「時のしるし」を見分けるようにと警告しています。今でも見られる「時のしるし」を自分で調べてみて下さい。聖書が人間の創作では決して書けない本だと分かるでしょう。どうか真理の探究を人任せにしないで下さい。人の話を鵜呑みにしてはいけません。真理か否かは自分で調べるべきなのです。

 

 聖書の神は偉大な神です。その神があなたに神の計画を知らせています。それが時のしるしです。このしるしはあなたに脱出の道を示しているのです。神はあなたを救い出したいのです。この滅びの世から、恐ろしい運命から、何とか救出したいのです。

 では、人はどうやってこの滅びから救われるというのでしょうか? それはイエス・キリストの十字架によってです。どうしてそれが人を救うというのでしょう?

 その詳細は「時のしるし5 キリストの十字架」をご覧ください。

 

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